「白球幸福論」

 言うまでもないことだが、草野球のチームにはそれぞれ個性と特徴がある。同じ高校の野球部出身者で構成されているチームあり、同じ職場で働く仲間で作ったチームあり、住んでいる地域を土台として結成されたチームありと、さまざまである。
 野球好きが集まったという点では同じだが、チームにはそれぞれの理想があり、目標があり、譲れない考え方があるだろう。何を一番大切にしているか?何を目指してゲームに臨むのか?
 何よりも勝敗にこだわるチーム、ナインの親睦を第一に考えるチーム、技術の向上を目標にするチーム、いろいろな考え方があってよいと思う。チームの数だけ個性があるのだから・・・。このように考えると、草野球のチームは、ちょうど僕ら一人一人の個人と同じように「人格」を持った存在だということに気がつく。それぞれ個性のある監督や選手達が集まって、一つの個性あるチームを作る。監督や選手はチームのために努力・貢献し、チームは選手個人個人のためにある。監督やコーチは時々交代するし、選手も常に入れ替わる。でも、チームは歴史を重ねていき、各地の野球連盟や草野球界で一定の評価を受ける。実際の社会での個人の場合と同じように・・・。

 われら国立キングス球団は36年の歴史を持つ。選手の年齢層は広く、20歳の若手から58歳のベテランまで全員現役のプレーヤーである。硬式経験者はごく少数である。もちろん、チームは古ければ良いというものではないが、よくぞ今日まで続いてきたというのが正直な実感である。初代の監督はすでに故人となり、かつてチームの中心選手だった人達の多くは引退していった。特定の高校の野球部の出身者で作ったチームでもなければ、職場が一緒でもないチーム。
 国立という場所を拠点にして、友人、親戚、知人を集めて結成し、今日まで続けてきた純粋のクラブチームだ。選手間の考え方の違いから分裂の危機に見舞われて、みんなで徹夜で話し合ったことも少なくなかった。「たかが野球、されど野球」というやつで、どうしても譲れないことは譲れない。俺が辞めるか君達が辞めるかなどという議論は、二度や三度ではなかった。

 譲れなかった点はただ一つ。キングスを「誇り高いチームにしたい」。ただこれだけだった。試合に勝って野球に負けるようなゲームはしたくない。ゲームに対しては、当然勝ちにいくが、ただ勝っても楽しくない試合があり、負けて悔しいが楽しい試合もある。それは、選手個人が楽しかったか、充実していたかという次元ではなく、チームという人間が楽しかったか、充実感を味わったかで決まるように思う。私の理想は、ここにある。つまり、選手個人個人の充実感とチームそれ自体の充実感が合致するとき、本当の理想の野球ができたと思うのだ。このようなとき、心の底から「今まで野球をやってて良かった」「野球をやってて幸せだ」と感じる。こんなときは、とてもまっすぐ家には帰れない。夕方のファミリーレストランのテーブルのまわりに選手の笑顔が揃うことになる。窓に映る夕焼けがとても美しく見え、ナイン一人一人の笑顔にしみじみと幸せが漂う。

 このような試合を1試合でも多く、このような時間を1分でも多く、選手のみんなと共有したい・・・。これが、36年もチームを続けてこられた原点なのかと思う。

                                             
2002年12月
国立キングス球団 会長
高乗正臣


                                             







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