第四回 「キングスの若武者・岸野亘選手」


 1990年から99年頃まで、324試合に出場した岸野選手は、まさにキングスの若武者という言葉がぴったりのプレーヤーであった。
 国立の中学校の野球部で野球の基本を学んだ岸野選手は、高校時代と大学時代にキングスで活躍した。入団当初は、国立一部リーグのスピードのある野球について行けず、成績も振るわなかったが、その後、努力に努力を重ねて、入団5年目にして首位打者に輝いた。岸野選手はおとなしく、温和でまじめな好青年であったが、実家が「お菓子屋さん」であったためか、どことなく性格に「甘い」ところがあった。
 ところで、岸野選手の特長は、何よりも、その強肩にあった。いわゆる鉄砲肩というやつである。入団2年目に外野手としてレギュラーポジションを獲得した岸野選手は、持ち前の強肩で何度もランナーをホームで刺した。センターへの犠牲フライがあがると定位置でがっちり捕球して、そのままノーステップでバックホームをする。ともかく、その投げる球がすごかった。まさに、センターから投げる球が、味方のショートの頭の少し上あたりを通過し、その高さのままキャッチャーのミットにうなりを立てて吸い込まれる。相手の3塁ランナーは、楽にホームインできると思って走ってくるが、ホームベースの2メートルくらい前でスライディングもできずに完璧にアウトになるケースが多かった。ともかく、ものすごい肩であった。
 それもそのはず、岸野選手は大学で一所懸命に工学と物理学を学んでいたのだ。そして、その学んだ知識を自分のプレーに応用していたのである。自分がフライを捕球する角度、自分の捕球位置から本塁までの距離、3塁ランナーが走る平均的なスピード、自分が本塁に投げるボールの角度とそれに対する空気抵抗などなど、瞬間的に頭の中で数式を組み立てて判断し、それを実際に実証してみせる。生まれもっての強肩と、工学・物理学の勉強の成果が結び付いたプレーは、ひときわ輝いて見えた。
 バッティングも同じであった。どこで買ってきたのかいまだに不明なのだが、岸野選手は独特のバットを持っていた。やや短めで、黒塗りのグリップの太い特徴のあるバットだった。岸野選手のバッティングは、ややスタンスを広めにとって、背筋をピンと伸ばして、思い切りよく振り抜く打法であった。その打法が見事な花を咲かせたのは1998年のシーズンだった。春先から打ちまくり、夏から秋へかけても調子が落ちなかった。そのシーズンは、見事、初の打点王に輝いた。
 実働9年間で、本塁打は通算で6本、三塁打は11本、二塁打は何と30本を記録している。さわやかな性格から、岸野選手が「キングスの若武者」と言われたのはその頃である。その岸野選手も、大学を卒業して神奈川県の会社に就職、みんなに惜しまれながら、キングスを去っていった。その後、間もなく、彼の実家の「お菓子屋さん」は店を閉めた。そのせいか知らないが、いつしか岸野選手の性格の「甘さ」も消え、風の便りによれば、今では立派な社会人として幸せな家庭を築いているそうである。

   
                                 
                                  国立キングス球団 会長

                                  高乗正臣
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