第二回 「国キンの森の石松・菊地文雄選手」


 しらふの時は良いけれど酒を飲んだら乱暴者よ♪・・喧嘩早いが玉にキズ♪ ・・という浪曲で有名なのが「清水次郎長一家の森の石松」であるが、国立キングスにも「石松」がいたと言ったら読者は驚くだろう。
 確かにいたのである。それこそ、押しも押されもしない、かつての「名四番打者・菊地文雄選手」がこの人である。
 菊地選手は一滴も酒が飲めないが、「喧嘩早い」という点では石松に負けない男であった。
 まず何と言っても、私と菊地選手との出会いがもの凄かった。あれは今から35年ほど前、私が二十代後半で、菊地選手が私より3歳年下の頃だった。当時、かつての広瀬コーチの兄の義孝という人が率いる「国立ダイアモンド」というチームがあった。このチームは、国立第一中学校の野球部のOBで作ったチームで、当時の国立球界でも屈指の実力を誇っていた。そこに菊地選手がいたのである。菊地は国立第一中学校の出身ではなかったが、立川市の砂川の中学で注目されていた選手であった。いわば、菊地選手は広瀬監督にスカウトされるという形でダイアモンドに入団し、正捕手の地位を与えられていたのである。
 ある日の試合、私は助っ人として呼ばれて3塁を守ることになった。ほとんどの選手は中学校の友人として顔を知っていたが、菊地選手とはこの日が初対面だった。たしか、2対0でリードして試合が中盤にさしかかったところで、ランナーなしの状態ではあるが、菊地選手が二度ほどボールを後逸した。私は、試合中、思わず3塁の守備位置から大きな声で「おい、キャッチャー、ガッチリいこうぜ!」というような意味の言葉を発した。その時である。いきなり、菊地選手は立ち上がって、肩を怒らせ、血相を変えて3塁手の私の方に向かって猛然と歩いてきたのである。試合中である。審判も、バッターも、こちらの投手も何事が起きたのかと呆然としている。菊地選手は、私の直前で止まり、「あんたはうまいだろうよ、どうせ俺は下手だよ。この野郎!」と、くってかかってきた。私も当時はまだ若った。「何いってんだ!ガッチリいこうぜと言ったのが何が悪いんだ!」と、お互いに相手の胸ぐらをつかんでもみ合いになった。完全な喧嘩である。この様子を見て、広瀬監督が飛んできて二人の中に入って何とか乱闘にはならずにおさまった。
 この試合の後、二人は監督の家に呼ばれた。二人は監督の前に正座をさせられて、こんこんと2時間ほど説教された後、飲めない二人は「おちゃけ」で乾杯して、仲直りをさせられ深夜の1時頃まで野球談義に花を咲かせた。話してみると、菊地という男は「実にいいやつ」であった。これが、その後20年間続く友情の始まりだったとは、その時二人とも気が付かなかったのである。
 その2年後、ダイアモンドが解散したとき、菊地選手だけがキングスに入団、以後彼は「四番打者」の座を誰にも明け渡さなかった。菊地選手の打撃はシュアーであった。グリップの太い、やや重めのバットを一握り短く握って、トップの位置から最短距離で振り下ろす鋭いスウィングは野球の教科書そのものであった。どんな場面でも、決して自分のスウィングのスタイルを変えずに、確実にライナー性の打球を打ち返す「典型的な中距離ヒッター」に撤した。打率は常に0.320から0.330をマーク、「安打製造機」ともいえるその打撃フォームはチーム全員の生きた見本であった。168p70sのガッチリした体格、基本通り肘を90度上げて投げる確実な送球、軽快なフットワークと全力プレー。チームで一番頼りになる選手であった。
 しかし、歳をとっても、例の「喧嘩早い」癖だけは治らなかった。当時、正3塁手として「華麗な守備?」で活躍していた私は3塁側の相手ベンチから猛烈なヤジにさらされることがたびたびあった。当時の国立球界は、レベルの低い汚いヤジの応酬が日常茶飯だった。「ほらほら、サードまたやるぞ、こら、ひっこめ、こら」などというのはまだよい方で、「ほらサード、おまえ野球知ってるか、頭を使え頭を、なにやってんだ、おまえは・・」などという個人攻撃があった。そのような時、バットを握って相手ベンチに乗り込むのは決まって菊地選手だった。「汚い個人攻撃はやめろ。こら、もう一度言ってみろ。この野郎」。そこにあるのは、私をかばう菊地選手の姿だった。今思い出すと、その菊地選手のすぐうしろには、これまた決まって涌井選手がいたように記憶している。
 その友情に厚い菊地選手も右脚を痛め、平成2年引退を決意、静かにグランドを去っていった。菊地選手が最後まで愛用していたグリップの太い「安打製造」用バットは石井選手に引き継がれ、野球殿堂に飾られる日を待っている。

   
                                 
                                  国立キングス球団 会長

                                  高乗正臣
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